田村亮の経歴と現在

最終更新日 2023年5月1日 by onderobics

2019年、もっとも騒がせた芸能ニュースと言えば、吉本興業の闇営業問題だったと言えるでしょう。
吉本興業に所属するお笑い芸人数名が、反社会的勢力と呼ばれる人間を相手にお仕事をしたことを発端にする問題です。
吉本興業は参加した芸人たちに処分を下しますが、それは謹慎処分や契約解除という厳しいものでした。
そこでお笑い芸人が反論の記者会見を開いたことで問題はさらにヒートアップします。
そこで涙ながらの記者会見を開いたのが、雨上がり決死隊の宮迫博之さんと、ロンドンブーツ1号2号の田村亮さんです。
田村亮さんはときおり涙を見せながら会見に臨み、その姿は大きな共感を呼びました。
そんな実直さが目立った田村亮さんの経歴や現在を見ていきましょう。

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1972年1月8日に大阪府高槻市生まれ

田村亮さんは1972年1月8日に大阪府高槻市に生まれます。
血液型はA型です。
身長は高く見えますが、公式資料によると172cmと表記されています。
現在、吉本興業所属の若手芸人はその多くがNSCと呼ばれる養成所の出身が多いですが、実は田村亮さんはNSC出身ではありません。
東京都にある、吉本運営の劇場である銀座七丁目劇場と呼ばれるところのオーディションに合格したことでデビューを果たします。
この銀座七丁目劇場は極楽とんぼやペナルティ、品川庄司などを輩出しています。
闇営業問題では極楽とんぼの加藤浩次さんが事務所と対立したことでも話題になりましたが、その背景には同じ劇場出身の後輩芸人がこのようなことになったことが関係しているのでしょう。

 

田村淳さんとの出会い

相方である田村淳さんとの出会いは、集団田中と呼ばれるお笑い集団に所属したことがきっかけです。
田村淳さんは地元の下関ですでにコンビを結成していましたが、相方が失踪したことからコンビは解散していました。
集団田中に所属したことで亮さんと1993年に結成します。
そして1年後の1994年に上記の銀座七丁目劇場に入りました。
コンビ名ははじめからロンドンブーツ1号2号だったのではなく、タムタムやドドリアンを経て、劇場デビュー後にロンドンブーツに落ち着きます。
コンビ名の由来は初期に作った演目のタイトルが由来です。
ロンドンブーツはどちらが1号でどちらがよく聞かれるそうですが、決まってはいません。

 

田村亮さんは主にツッコミを担当

ロンドンブーツは、現在MC業が主なので漫才やコントを見る機会は少ないでしょう。
田村亮さんは主にツッコミを担当していました。
実はネタを考えていたのは主に亮さんです。
コンビが脚光を浴びるきっかけになったのは、フジテレビで放映されていたボキャブラ天国です。
この番組はお笑い芸人が何かをもじった1発ネタを行う番組で、番組初期に参加します。
多くの芸人たちが一言ワードをダジャレにするのに対し、長文が多かったのでネタの作り込みは当時から目立っていました。
登場時のキャッチネームは「くいだおれパンクス」です。

 

ロンドンブーツはお笑い第4世代

現在、お笑い第7世代がメディアを賑わせていますが、ロンドンブーツはお笑い第4世代と言われます。
ここに所属するのは爆笑問題やくりぃむしちゅー、ネプチューンなどのボキャブラ世代や、ナインティナイン、よゐこ、極楽とんぼなどのめちゃイケメンバーが主です。
ロンドンブーツはボキャブラ天国の中期から出演しなくなったので、ボキャブラ世代にはあまり数えられません。
頭角を現したのはウッチャンナンチャンの「アンファクトリー・カボスケ」と呼ばれる番組に出演してからになります。
この番組は多くの若手が登場するスタイルでしたが、そこで二人が際立った活躍を見せたことから、ウッチャンナンチャンの二人に引き立てられる形でオールナイトニッポンの2部を担当します。
デビュー2年目で2部とはいえ日本放送の看板番組を任されることになりました。
その後は冠番組を任されるようになり、ロンドンハーツを筆頭に数多くのヒット番組を担当します。

 

金髪がトレードマーク

亮さんといえば金髪がトレードマークです。
田村淳さんは当時、赤髪でした。
金髪と赤髪のコンビは当時珍しく、ファッションにもこだわっていたため新世代のお笑い芸人と言われます。
二人とも出身は西日本ですが、東京でデビューしたことと、型破りなスタイルのため「とんねるずの再来」とも言われ期待されました。
冠番組のMCは二人で進行することが多いですが、もっぱらトークを進めるのは敦さんの方です。
亮さんはあまり番組では話すことはないですが、ときおりみせるセンスのいい一言や天然ボケで愛されるキャラクターです。

 

二人の仕事が減っていく中で起きた闇営業問題

現在、ロンドンブーツは二人の仕事を行いながらピン(単独)の仕事も増えています。
敦さんはインターネットの世界にいち早く飛び込みました。
二人の仕事が減っていくなかで起きたのが闇営業問題です。
ただ、敦さんは亮さんを見捨てることはなく、二人で会社「LONDONBOOTS」を設立します。
そこで吉本興業とエージェント契約を行い、現在は会社との関係は良好のようです。
会社設立からほどなくYouTubeでチャンネルを開設しました。
「ロンブーチャンネル」というチャンネルができたことにより、二人の共演も増えてファンはひと安心でしょう。
 

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